今回は、菅野 仁さんの書籍『友だち幻想』に書かれている名言を紹介していこうと思います。Amazonの商品ページには、「全国1000人以上の先生が選んだ、中高生にいま一番読んでほしい本![キミに贈る本(キミ本)大賞] (読売中高生新聞主催) 第1位!」と書かれていました。長年売れ続け、38万部を突破した書籍にはどのような言葉が紡がれているのでしょうか。下記で紹介していきます。
『友だち幻想』の名言集
他者との関係
どんなに仲良くしていても、どんなに相手や周囲に配慮した言動を心がけていたとしても、何かしら誤解しあったり、うまくいかなくなることがあるのが他者との関係です。
友だち幻想
他者との関係でのあるあるが、言葉として紡がれていました。仲良くしても、相手や周囲に配慮しても、誤解やうまくいかないことが必ずあるとのこと。自分と相手は生まれた場所も違えば育った場所も違い、価値観は全然違う者同士です。だから喧嘩や誤解は当たり前なように起こりえると思いました。そのことを十分に理解したうえで、他者と関わっていきたいなと思えました。
過剰な精神的関与
先生というのは基本的には生徒の記憶に残ることを求めすぎると、過剰な精神的関与や自分の信念の押し付けに走ってしまう恐れがある。
友だち幻想
ここでは”先生”に絞って書かれていましたが、基本的に人の印象に残るためには「過剰な精神的関与や自分の信念の押し付け」をすることが一番手っ取り早いんじゃないかと思いました。なので、自分がここで「○○は○○だ!!」と信念をあなたに押し付けるという行為も”記憶に残ろうとした行為”に過ぎないと感じました。勉学を教える立場として、部活を支える立場として、先生という人物が学校には置かれていると思うのですが、やりすぎてしまうのは良くないという典型的なパターンですかね。
全員の気が合う
クラス全員が仲良くできる、全員が気の合う仲間どうしであるということは、現実的に不可能に近いことです。
友だち幻想
「現実的に不可能に近い」とありますが、自分自身は「不可能である」と断言しても良い気がしました。逆に、クラス全員が仲良く過ごしているクラスがあるのであればぜひとも教えていただきたいくらいです。それほど、人の価値観は合わないと自分は思っています。気が合わなくても話したりはする関係だとか、何の関わりもないけど手を振る関係だとか、”気が合う”とは到底言えないクラスならあるとは思いますが、それは少し違うと思うので除外しました。
教師や大人の心得
「あまり濃密な関係を学校空間の中で求めすぎない」ということが、教師や大人の心得として、じつは大事なのではないかと思っています。
友だち幻想
どこかの書籍に書かれていましたが、「学校生活ですることといえば、いじめか恋愛ごっこくらいだ」というのをここで思い出しました。何者でもないものを、何者かになる可能性のあるものを、一つの部屋に閉じ込めてそれを”クラス”と称し毎日過ごすというのはそれなりのストレスがかかりますよね。教師や大人は、「周りと仲良くしなさい」と言うよりも「無理して関係を持とうとしなくていい」と言えることが大事なんじゃないかと思いました。
醒めた意識
「自分というものをすべて受け入れてくれる友だち」というのは幻想なんだという、どこか醒めた意識は必要です。
友だち幻想
この言葉にある「「自分というものをすべて受け入れてくれる友だち」というのは幻想」は、高校に入ってから実感できるように思いました。中学生までは”自分を受け入れてくれる人”が友達だと思って仲良くしていましたが、高校に入ってからはある程度の社交辞令に気をかけるようになりました。そのとき、”受け入れてないけど、受け入れたように見せているだけ”と感じ取ることができます。そこで”ああ、あれらは幻想か”と失望するのでしょう。
自分自身の思考
多くの情報や多様な社会的価値観の前で、お互い自分自身の思考、価値観を立てることはできず、不安が増大している。
友だち幻想
最近でいえば”多様性”という言葉をよく目にするように、考え方や捉え方は人の数だけあるということでしょう。一対一で話すとき、お互いが思考や価値観を出すことはできず、結局は不安だけが増していくという状況が見受けられるように感じました。どのようにすれば、人間の奥にあるものを表現して受け入れることができるのでしょうか。自分にとって、ずっと謎なままです。
さいごに
今回は、菅野 仁さんの書籍『友だち幻想』に書かれている名言を紹介していきました。どうだったでしょうか。長年売れ続けるからには何かワケがあると思いますが、そのワケが分かるような気がしました。この記事を通して、この書籍に興味を持ってくれると嬉しいです。このサイトでは引き続き、”名言”の記事を更新していくので随時チェックしてくれると嬉しいです。