今回は、『ローマ教皇 フランシスコの生声』に書かれている知識を紹介していこうと思います。この書籍は、"史上初 ラテンアメリカ出身のローマ教皇"であるフランシスコの素顔に迫った一冊です。本人の生声だからこそ、響く言葉などが散りばめられているのかなと思います。『マーク・ザッカーバーグの生声』や『ビル・ゲイツの生声』など、様々な記事もあるので合わせて見てみてください。それでは、書かれている知識を紹介していきます。
『ローマ教皇 フランシスコの生声』の知識
子どもたちを残す
私たちは子どもたちに、どのような世界を残すのでしょうか。聞き方を変えてみましょう。「私たちはこの世界に、どのような子どもたちを残すのでしょうか」
ローマ教皇 フランシスコの生声
「私たちは子どもにどのような世界を残すか」と「この世界にどのような子どもを残すか」の違いに、ハッとさせられました。「どのような世界」を残そうが子どもが荒らす可能性があるし、「どのような子ども」を残すかで発展するしないに関わってくるのかなと思いました。どちらを取るか悩みどころではありますが、自分なら「どのような子どもを残すか」決めるべきだなと思いました。
最も成長できるのは
私たちが最も成長できるのは、己の限界や痛みに直面した時です。自分の欠点から次のような深い疑問が湧き上がってくるのです。私はもう十分に苦しんだのではないか?この堂々巡りを抜け出す時が来たのではないか?
ローマ教皇 フランシスコの生声
最も成長するためには、己の限界や痛みに直面しなければならないのだと思いました。何事も挑戦をして、失敗をして、挑戦をして、失敗を繰り返す中で成長していくような感じなのかなと思いました。挑戦しなければ自ずと限界や痛みの分からない人間になっていくものです。そうなってしまうと、自分の成長を妨げている事実でしかないのだと思いました。何事もやってみる勇気が大事だと思いました。
興味深いもの
興味深いのは、溢れるほどに多大な情報があるというのに、状況を理解することがより困難であることです。
ローマ教皇 フランシスコの生声
この言葉を見て、「確かに」となりました。今や情報が溢れるほどある社会なのに、どうしても状況を理解できない瞬間が一度は訪れてくるものです。調べれば解決しそうなはずなのに、解決しないで状況が分からなくなる始末。情報が溢れすぎているからこそ、自分でその答えとなる情報を見つけることが難しくなってきたのかなと思いました。情報が多い、だけが得ではないように感じました。
高齢者とは
高齢者は歴史の伝達者です。私たちに記憶を伝えてくれます。民衆、祖国、家族、文化、そして宗教の記憶までも… 長い間、生きてきたのです。どんなに愚かな生き方をしてきた人でも、真剣に向き合われなければなりません。
ローマ教皇 フランシスコの生声
どんな高齢者だって、自分よりも長く生きられているのであれば「人生の先輩」ですからね。あまり良い気のしない高齢者や、話しやすい高齢者なんかも、ちゃんと長年生きてきた事実があって、それについての話を聞くことには価値があるのだと思いました。様々な過去を聞く上で、真剣に向き合わなければならないと思いました。そして自分も、将来的に自分の過去を話さなければならないように思いました。
調子はどうかい?
知り合いに調子はどうか尋ねたところ、こんな答えが返ってきて、私は驚き困惑してしまいました。「最悪だ。でももう慣れっこだよ」
ローマ教皇 フランシスコの生声
人間はどうしても慣れてしまう生き物で、最悪な状況だとしても慣れてしまえばどうってことはないのかなと思いました。勿論、その状況から抜け出せるのであれば抜け出したいという思いもあるとは思いますが、抜け出せそうにないという失望から慣れに走る人もいるのかなと思いました。最悪な状況でも慣れてしまうのなら、最高な状況でも慣れてしまうわけで、慣れが成長の妨げになっているように感じました。
さいごに
今回は、『ローマ教皇 フランシスコの生声』に書かれている知識を紹介していきました。どうだったでしょうか。この記事を通して、この書籍に興味を持ってくれると嬉しいです。このサイトでは引き続き、”知識”の記事を更新していくので随時チェックしてくれると嬉しいです。