今回は、岩本 武範さんの書籍『なぜ僕は、4人以上の場になると途端に会話が苦手になるのか』に書かれている知識を紹介していこうと思います。この書籍は「複数でのコミュニケーション」が1冊にまとめられており、3人と4人の差を詳しく学ぶことができました。これまで抱いていた"なぜ話せなくなるのか"という謎を解明することができました。それでは、書かれている知識を紹介していきます。
『なぜ僕は、4人以上の場になると途端に会話が苦手になるのか』の知識
今の時代のコミュ障
話せても相手の気を悪くしてしまうと「コミュ障」といわれることがあるようです。それくらい「コミュ障」と思われる基準が低くなっているので、古い脳を刺激する言動には気をつけたいところです。
なぜ僕は、4人以上の場になると途端に会話が苦手になるのか
ひと昔前の「コミュ障」は"話すことができない人"でしたが、現在の「コミュ障」は"話せたとしても、相手の気を悪くしてしまう人"なようです。「コミュ障」と思われる基準が低くなっていることが原因だと思いますが、そうなってしまった原因も何かしらあるのだろうと思いました。相手の気を悪くさせずに話をする、という難題を現代の人々は持ち続けているのだと思うと、生きにくいですね。
日本人ならでは
キャプテンや部長にはなりたくないけれど、「その他大勢」とは見られたくない。2番手なら責任はそこまで重くないし、かといって軽んじられるポジションでもない。ほどよくおさまりがいいというわけです。
なぜ僕は、4人以上の場になると途端に会話が苦手になるのか
「何者かになりたい」という気持ちの表れが見て取れる現象だと思いました。キャプテンや部長という大役をしようとは思わないけれど、2番手にはなってもいいくらいの人が多いように感じました。"一番前を行く者"として責任は背負いたくないけれど、”何者にもなれなかった多数”にもなりたくないという欲が人間にはあるみたいです。欲があるから人間は争うのだと感じました。
顔だけでコミュ障がバレる
「話がうまい人」って、「表情豊か」なイメージないでしょうか。じつはこれ、単なるイメージではなく、科学的にも「表情が硬い人より、表情のバリエーションが豊富な人のほうが、コミュニケーション能力が高い」といわれているんです。
なぜ僕は、4人以上の場になると途端に会話が苦手になるのか
最近、洋画をよく観るのですが、日本人よりも海外の人のほうが表情豊かだと感じます。もちろん、育った環境や生まれた家庭によって変わってくる部分はあると思いますが、"来るもの拒まず"という意思が表情から伝わってくる海外の人は「話しやすそう」と思ったりしました。表情の変わらない人よりも、表情がコロコロと変わる人のほうが「話してみたいな」と思われるのだと思いました。
コミュ障臭が漂う
ここでやってはいけないのは、「イエス」「ノー」で答えられる、いわゆる「クローズドクエスチョン」を投げること。「これ好きですか?」と聞くと、「はい」または「いいえ」で会話が途切れやすく、複数の場においてそこから会話を広げるのは至難の業。「聞くだけ聞いて終わりかよ」と、一気にあなたから「コミュ障」臭が漂います。
なぜ僕は、4人以上の場になると途端に会話が苦手になるのか
クローズドクエスチョンをしてしまうと、自分は相手のことを知れるけれど、相手にとっては「尋問されているみたいで嫌」と思わせているみたいです。会話の広がらない話題をずっと振り続けていると、相手から「この人はコミュ障なのか」と思われるそうです。"コミュ障と思われたくない人"や"会話がうまくなりたい人"は、クローズドクエスチョンは避けて会話をしていくべきだと感じました。
興味深い研究結果
なんと紅茶を飲んだあとに、被験者の脳の血流量がものすごい勢いで上がりはじめたのです。血流量が上昇するということは前頭葉が活性化している何よりの証拠。紅茶を飲むと、会話脳が活発に働くことが判明したのです。
なぜ僕は、4人以上の場になると途端に会話が苦手になるのか
紅茶を飲むことで血流量が上がり、結果として会話脳が活発的になるとのこと。自分は毎日"午後の紅茶"を午前中に飲むのですが、仕事が捗っているように感じます。血流量が上がっているからなのだろうと書籍から学ぶことができました。また、女性がカフェで話し合うことも、この言葉の意味が分かれば「カフェで長く話してしまうよな」と同感できました。話したいときは紅茶を飲もうと思えました。
さいごに
今回は、岩本 武範さんの書籍『なぜ僕は、4人以上の場になると途端に会話が苦手になるのか』に書かれている知識を紹介していきました。どうだったでしょうか。この記事を通して、この書籍に興味を持ってくれると嬉しいです。このサイトでは引き続き、”知識”の記事を更新していくので随時チェックしてくれると嬉しいです。