今回は、ほうじ茶さんの書籍『どこかでちょっとずつ傷ついてる やさしいみんなへ』に書かれている名言を紹介していこうと思います。本文に「泣きながら眠ったことのある人、 泣くの我慢しながら眠ったことのある人、 泣いてたら朝になってたことのある人、 全員にちょっと良いこと起こってほしい」と書かれており、寄り添ってくれる本のようです。それでは、書かれている名言を紹介していきます。
『どこかでちょっとずつ傷ついてる やさしいみんなへ』の名言集
悩んでしまう人間だから
人間だから、生きているから、私たちは毎日泣いたり笑ったり悩んだり絶望したり怒ったり楽しんだりできる。そして、悩んでしまう人間だからこそ、気づけることや共感できることがたくさんあって、誰かの痛みや弱さをわかろうとすることができるのだと思う。
どこかでちょっとずつ傷ついてる やさしいみんなへ
人間だからこそ、泣くことも笑うことも絶望することも怒ることも楽しむことも、全てできるのだと気付けました。それから「悩んでしまう人間」だからこそ、共感できる部分があって、誰かの痛みや弱さを理解しようと思えるのだと感じました。人間以外の生き物も、もしかしたらこういった感情があるのかもしれませんが、人間だからこその感情が必ずあるのだと思いました。
生きていることで
日々生きていたら、楽しいことよりも、辛かったりしんどかったり、もう消えてしまおうかと思ったりしてしまうことの方が多い。それでも、見てくれる誰かが一人でもいれば、今日も一日生きてみようと思える。それが自分だけであったとしても。
どこかでちょっとずつ傷ついてる やさしいみんなへ
生きていると、楽しいことよりも辛くしんどいことばかりに目が向いてしまうものです。その結果、「消えてしまおうか」「死んでしまおうか」と思うものですが、そういうときに自分を見てくれる人がいてくれる安心感は大きいだろうなと思いました。誰かが自分を見てくれなくても、自分は自分を見てあげられると思います。自分の一番の理解者は自分だということを認識すべきですね。
人間だけの特権
たくさんの言葉を生み出し続けて想いを伝えることができるのは人間だけなので、誰かを悲しませるような言葉たちよりも、誰かを喜ばせるような、そんな言葉たちを多く使っていけたらきっといい。
どこかでちょっとずつ傷ついてる やさしいみんなへ
言葉を紡いで、想いを表現できるのは人間だけなのだから、悲しい言葉よりも嬉しい言葉を選択して使っていくべきだと感じました。誰かがネガティブになってしまっては、世の中は陰のオーラで包まれるような気がします。ポジティブな言葉を積極的に使っていくことで、周囲の人間も笑顔になる回数が増え、陽のオーラで包まれるのかなと思いました。言葉一つの使い方を、もっと考えるべきですね。
愛・愛・愛
人間いつかは必ず死んでしまう。白いポロポロの骨になって箸で拾われてしまう。どうせただの骨になるのなら、それまでたくさんの愛を人に与えたいと思う。小さな愛にも気づける人になりたいと思う。
どこかでちょっとずつ傷ついてる やさしいみんなへ
人間の終わりは、みんな同じなわけで。骨になって、誰かの記憶から忘れられていく。ならば、生きているうちはたくさんの愛を、たくさんの人に与えるべきだと感じました。そして何より、小さな愛に気付ける人でいるべきだと思いました。道端に咲いている花を見つけたとき、小さな子供が手を挙げて横断歩道を渡っているとき、思わずニッコリしてしまう瞬間を大事にするべきだと感じました。
自分がしたいこと
付き合いたいとか、結婚したいとか、そんな贅沢なこと望まないから、心の底から人を好きになりたい。会うために服を買ったり、その人が好きだと言った本を読んだり、普段観ない映画を観たり、反応してくれそうなストーリーをあげたり、夜眠れない時に電話して、くだらない話を眠るまでしたい。したい…
どこかでちょっとずつ傷ついてる やさしいみんなへ
誰かと付き合うことや結婚することは望まないから、些細なことを誰かと共有したい気持ちは物凄く共感できました。一人でいると「この思いを共有したいな」と思うことばかりです。そういうときに「聞いてほしいんだけどさ」と話し合える人がいるだけでも、心の余裕にも繋がってくるように感じました。その関係に愛がなかったとしても、一緒にいられる落ち着きのある人と出会いたいものですね。
さいごに
今回は、ほうじ茶さんの書籍『どこかでちょっとずつ傷ついてる やさしいみんなへ』に書かれている名言を紹介していきました。どうだったでしょうか。この記事を通して、この書籍に興味を持ってくれると嬉しいです。このサイトでは引き続き、”名言”の記事を更新していくので随時チェックしてくれると嬉しいです。